産業医と契約している企業の人事労務担当者の中には、産業医から勧告や意見を受けた際に、どこまで対応すべきか、逆に何を断ってもよいのかを判断しかねる場面に直面している方がいます。産業医には労働安全衛生法とその関連規則に基づく複数の権限があり、それぞれの内容と限界をあらかじめ把握しておくことで、実務での対応判断がしやすくなります。本記事では、産業医が持つ具体的な権限の一覧、勧告権を行使する際の流れ、産業医ができないこと、権限を無視した場合に企業が負う法的リスクまでを、一次情報に基づいて整理します。
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この記事でわかること
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【1】産業医が持つ7つの権限の内容と根拠条文 -
【2】産業医の勧告権のしくみと行使される具体的な流れ -
【3】産業医ができること・できないこと(権限の限界) -
【4】産業医の勧告・意見を無視した場合に企業が負う法的リスク
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産業医とは?権限の法的根拠
産業医の権限とは、労働安全衛生法が産業医に認める勧告・意見陳述などの職務遂行権限です。産業医制度そのものの根拠は労働安全衛生法第13条にあり、一定規模以上の事業場に医師のうちから産業医を選任し、労働者の健康管理等を行わせることを事業者に義務付けています。
第十三条 事業者は、政令で定める規模の事業場ごとに、厚生労働省令で定めるところにより、医師のうちから産業医を選任し、その者に労働者の健康管理その他の厚生労働省令で定める事項(以下「労働者の健康管理等」という。)を行わせなければならない。
産業医の役割そのものの詳しい解説(選任義務・職務内容の全体像)は、産業医の役割と選任義務について解説した記事や、労働安全衛生法における産業医の位置づけを解説した記事で詳しく紹介しています。本記事では、これらの記事と重複しないよう、産業医が具体的に何をできて何をできないのかという「権限」の中身に絞って解説します。
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産業医が持つ7つの権限(業務内容と権限の一覧)
産業医が持つ権限は、勧告権だけではありません。労働安全衛生法・同規則に基づき、産業医には複数の職務遂行上の権限が与えられています。以下では代表的な7つの権限を整理します。

(図:産業医が持つ主な権限)
(編集部作成)
- 勧告権:労働者の健康を確保するため必要と認めるときに、事業者に対し必要な勧告を行う権限(労働安全衛生法第13条5項)。
- 意見陳述権:健康診断やストレスチェックの結果を踏まえ、就業上の措置について事業者に意見を述べる権限(労働安全衛生法第66条の4・第66条の10第5項)。
- 職場巡視権:少なくとも毎月1回作業場等を巡視し、有害のおそれがあるときは労働者の健康障害を防止するため必要な措置を講じる権限。
- 長時間労働者に対する面接指導実施権:一定の時間外労働を行った労働者に対して面接指導を行う権限(労働安全衛生法第66条の8)。
- ストレスチェックへの関与:ストレスチェックを実施する医師として関与する権限(労働安全衛生法第66条の10・労働安全衛生規則第52条の10)。
- 衛生委員会への調査審議要求権:衛生委員会又は安全衛生委員会に対し、労働者の健康を確保する観点から必要な調査審議を求めることができる権限(労働安全衛生規則第23条5項)。
- 権限行使の前提となる権限付与:事業者は産業医に対し、上記のような職務を行うために必要な権限を与えなければならないとされています。
第六十六条の四 事業者は、第六十六条第一項から第四項まで若しくは第五項ただし書又は第六十六条の二の規定による健康診断の結果(当該健康診断の項目に異常の所見があると診断された労働者に係るものに限る。)に基づき、当該労働者の健康を保持するために必要な措置について、厚生労働省令で定めるところにより、医師又は歯科医師の意見を聴かなければならない。
産業医は、少なくとも毎月1回作業場等を巡視し、作業方法又は衛生状態に有害のおそれがあるときは、直ちに、労働者の健康障害を防止するため必要な措置を講じなければならないこととなっています。
第六十六条の八 事業者は、その労働時間の状況その他の事項が労働者の健康の保持を考慮して厚生労働省令で定める要件に該当する労働者(次条第一項に規定する者及び第六十六条の八の四第一項に規定する者を除く。以下この条において同じ。)に対し、厚生労働省令で定めるところにより、医師による面接指導(問診その他の方法により心身の状況を把握し、これに応じて面接により必要な指導を行うことをいう。以下同じ。)を行わなければならない。
第六十六条の十 事業者は、労働者に対し、厚生労働省令で定めるところにより、医師、保健師その他の厚生労働省令で定める者(以下この条において「医師等」という。)による心理的な負担の程度を把握するための検査を行わなければならない。
5 産業医は、衛生委員会又は安全衛生委員会に対して労働者の健康を確保する観点から必要な調査審議を求めることができる。
第十四条の四 事業者は、産業医に対し、第十四条第一項各号に掲げる事項をなし得る権限を与えなければならない。
この一覧だけを見ると、産業医の権限は幅広いように見えます。しかし実務上は、勧告や意見を受けた企業側が「どこまで対応する義務があるのか」を条文単位で正確に切り分けられず、対応の判断に迷う場面が少なくありません。
産業医の勧告権とは?労働安全衛生法の内容
産業医が持つ権限のうち、最も強い実務的影響力を持つのが勧告権です。労働安全衛生法第13条5項・6項が、勧告権の内容と事業者側の対応義務を定めています。
5 産業医は、労働者の健康を確保するため必要があると認めるときは、事業者に対し、労働者の健康管理等について必要な勧告をすることができる。この場合において、事業者は、当該勧告を尊重しなければならない。
6 事業者は、前項の勧告を受けたときは、厚生労働省令で定めるところにより、当該勧告の内容その他の厚生労働省令で定める事項を衛生委員会又は安全衛生委員会に報告しなければならない。
条文が定めているのは「勧告を尊重しなければならない」という尊重義務であり、勧告の内容をそのまま実行しなければならないという服従義務そのものを直接定めた文言ではありません。ただし、事業者には勧告を受けたことを記録・保存し、衛生委員会へ報告する義務が別途課されているため、勧告を形式的に受け流すだけでは義務違反となる可能性があります。個別の勧告に対してどこまで対応すべきかは、勧告の内容や事業場の状況によって異なるため、最終的な判断は産業医に相談することをお勧めします。場当たり的に都度判断するのではなく、記録・確認の体制をあらかじめ社内で整えておくことが、対応漏れを防ぐうえで重要です。
産業医の勧告権と退職勧奨の違い
産業医の勧告権は、労働者の健康管理等について事業者に必要な勧告を行う権限であり、事業者が労働者に退職を促す「退職勧奨」とは法的な位置づけが異なります。産業医の勧告はあくまで健康管理上の措置を事業者に求めるものであり、労働者本人に対して退職や異動を直接指示する権限ではありません。
産業医の勧告を根拠に退職勧奨や解雇を進めると、勧告の趣旨を逸脱した人事権の行使とみなされ、労務トラブルに発展するおそれがあります。産業医の意見と、事業者が行う人事上の判断は、別の手続きとして整理して扱う必要があります。
勧告権を行使する具体的な流れ
産業医の勧告権は、いきなり事業者に通知されるものではなく、事前の意見確認から衛生委員会への報告まで一連の手続きを経て行使されます。

(図:勧告権を行使する具体的な流れ)
(編集部作成)
第十四条の三 産業医は、法第十三条第五項の勧告をしようとするときは、あらかじめ、当該勧告の内容について、事業者の意見を求めるものとする。2 事業者は、法第十三条第五項の勧告を受けたときは、次に掲げる事項を記録し、これを三年間保存しなければならない。一 当該勧告の内容 二 当該勧告を踏まえて講じた措置の内容(措置を講じない場合にあつては、その旨及びその理由)
- 産業医が勧告の内容について、あらかじめ事業者の意見を求める。
- 産業医が事業者に対し正式に勧告を行う。
- 事業者が勧告の内容と、それを踏まえて講じた措置の内容(または措置を講じない場合はその理由)を記録し、3年間保存する。
- 事業者が、勧告を受けた後遅滞なく、勧告の内容等を衛生委員会又は安全衛生委員会に報告する。
このように、勧告を受けた企業には記録・保存・報告という一連の事務対応が発生します。人事労務担当者が単独でこれらの手続きを漏れなく管理し続けるのは、日常業務と並行する場合、実務上のハードルになりやすい部分です。
産業医ができること・できないこと(権限の限界)
産業医の権限には限界があります。産業医は医師である一方、産業医としての職務は労働者の健康管理等に関する意見・勧告が中心であり、診断や治療そのものを行う立場ではありません。

(図:産業医ができること・できないこと)
(編集部作成)
| できること | できないこと |
|---|---|
| 労働者の健康管理等について事業者に必要な勧告を行う | 自ら診察をせずに治療や診断書の交付を行う |
| 健康診断・面接指導等の結果を踏まえて意見を述べる | 人事権を行使して異動・解雇を直接決定する |
| 少なくとも毎月1回、職場を巡視する | 本人の同意なく面接指導を強制的に実施する |
医師法は、医師が自ら診察しないまま治療や診断書の交付を行うことを禁じています。これは産業医に固有の制限ではなく、医師である以上、産業医も含めて従うべき一般的な規定です。
第十七条 医師でなければ、医業をなしてはならない。
医師法第二十条も、医師が自ら診察しないまま治療を行ったり、診断書や処方せんを交付したりすることを禁じています。
つまり産業医は、健康管理上必要な意見や勧告を行う権限を持つ一方で、診断・治療・投薬・診断書の交付といった医療行為そのものを、産業医の立場で自ら実施するわけではありません。個別の症例についてどこまでが産業医の職務範囲に含まれるかは事業場の状況によって異なるため、迷う場合は産業医に直接相談することをお勧めします。個々の判断を担当者だけで抱え込まず、記録・確認のフローをあらかじめ社内で整備しておくことが望まれます。
「ドクターストップ」と産業医の権限行使の違い
「ドクターストップ」という言葉は日常的によく使われますが、法令上の定義がある用語ではありません。産業医の勧告権・意見陳述権・面接指導実施権とは異なる文脈で使われている点に注意が必要です。
一般に「ドクターストップ」という言葉は、医師が患者本人に対し、健康上の理由から特定の活動(就労を含む)を控えるよう伝える場面で使われます。これに対し、産業医が制度上持つ勧告権・意見陳述権は、産業医が事業者に対して行使するものであり、事業者側に記録・報告等の対応義務を発生させる点が異なります。「ドクターストップがかかった」という状態と、「産業医が勧告・意見を行った」という状態は、法的な性質が異なるため、企業が対応を検討する際は、どちらの文脈で使われている情報なのかを区別して確認する必要があります。
産業医の権限に対応する企業の義務(意見の尊重・記録・報告)
産業医が権限を行使した場合、企業側にも対応する義務が生じます。記録・保存、遅滞ない報告に加え、産業医の職務行使を理由とした不利益取扱いの禁止も定められています。また、産業医の辞任・解任・退任があった際の報告義務が新たに追加されており、あわせて確認しておく必要があります。
3 産業医は、第一項各号に掲げる事項について、総括安全衛生管理者に対して勧告し、又は衛生管理者に対して指導し、若しくは助言することができる。4 事業者は、産業医が法第十三条第五項の規定による勧告をしたこと又は前項の規定による勧告、指導若しくは助言をしたことを理由として、産業医に対し、解任その他不利益な取扱いをしないようにしなければならない。
「〜しないようにしなければならない」という文言は、努力目標ではなく確定的な禁止義務です。産業医が勧告・指導・助言を行ったことを理由に不利益な取扱いをすることは、単なる望ましくない対応ではなく、規則上禁止されている行為にあたります。
加えて、令和8年8月1日からは、産業医の辞任・解任・退任があった場合に、事業者が所轄労働基準監督署長へ産業医の氏名及び辞任等の年月日等を遅滞なく報告することが新たに義務付けられています(選任報告時にあわせて辞任等の報告を行った場合を除く。厚生労働省の通達「労働安全衛生規則の一部を改正する省令の施行について」による)。産業医との契約状況が変わった際の報告漏れは見落としやすいため、選任・辞任のたびに社内の管理体制を見直しておく必要があります。
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産業医の勧告・意見を無視すると企業はどうなる?(法的リスク)
産業医の勧告や意見を形式的に受け取るだけで、実際の対応や記録を怠った場合、企業は安全配慮義務違反を問われるリスクを負います。
第五条 使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。
第四百十五条 債務者がその債務の本旨に従った履行をしないとき又は債務の履行が不能であるときは、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる。ただし、その債務の不履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして債務者の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。
労働契約法第5条は使用者に安全配慮義務を課しており、これに違反して労働者に損害が生じた場合、民法第415条に基づく債務不履行責任として損害賠償を請求される可能性があります。産業医の勧告・意見を記録も対応もせず放置した場合、後にトラブルが発生した際、企業側が必要な配慮を尽くしていなかったと評価される要因になり得ます。
なお、産業医の意見書そのものの様式や、意見書に記載された内容への具体的な対応方法については、産業医の意見書の書き方・様式を解説した記事で詳しく扱っています。
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産業医の権限を活かして企業がすべきこと
産業医の権限を正しく理解したうえで、企業側が整えておくべき体制はいくつかあります。勧告・意見のたびに個別対応するのではなく、あらかじめ仕組み化しておくことで、対応漏れや記録不備を防げます。
- 勧告・意見を受けた際の記録・保存・報告のフローを社内であらかじめ定めておく
- 衛生委員会を定期的に開催し、産業医からの勧告・報告内容を確実に共有する
- 産業医の辞任・解任・選任があった際の報告義務を、人事労務担当者間で引き継げる体制にしておく
これらの体制構築は、担当者が一人で抱え込むと形骸化しやすい部分でもあります。自社で採用した産業医と密に連携できる企業であれば自社対応でも運用可能ですが、多くの企業にとっては、記録・報告・衛生委員会運営までを一貫して支援してもらえる体制の方が、実務上の工数削減につながりやすいのが実情です。
まとめ
産業医には、勧告権のほか、意見陳述権や職場巡視権など複数の権限があります。中でも勧告権は、事業者に尊重義務・記録義務・報告義務を発生させる点で実務上の影響が大きい権限です。一方で産業医は、自ら診察せずに治療や診断書を交付することはできず、人事権を直接行使する立場でもありません。勧告・意見を放置すると安全配慮義務違反のリスクにつながるため、企業側は記録・報告体制をあらかじめ整えておくことが求められます。
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よくある質問(FAQ)
- Q,産業医の勧告に強制力はあるか
- A
労働安全衛生法第13条5項は、事業者に対し勧告の内容を尊重しなければならないと定めています。これは尊重義務であり、勧告の内容をそのまま実行しなければならないという服従義務を直接定めた文言ではありません。ただし、勧告を受けた事業者には記録・報告の義務が別途課されています。
- Q,産業医の意見書は無視できるか
- A
意見書の内容そのものへの対応方法は、産業医の意見書の書き方を解説した記事で詳しく解説しています。意見書に記載された内容を記録・保存し、衛生委員会に報告する義務は企業側に課されているため、形式的に受け取るだけで対応を怠ることはリスクになります。
- Q,産業医は診断書を書けるか
- A
医師法第二十条は、医師が自ら診察しないで診断書を交付することを禁じています。これは産業医に固有の制限ではなく、医師である以上、産業医も含めて従うべき一般的な規定です。診断書の交付が必要な場合は、実際に診察を行う医師に依頼する必要があります。
- Q,「ドクターストップ」に法律上の定義はあるか
- A
「ドクターストップ」という言葉に、法令上の定義はありません。産業医が制度上持つ勧告権・意見陳述権とは異なる、日常的に使われている俗称です。



